コンサート評、そして聴こえてくるNo.9の足音


秋が深まりを感じる朝。


先日発売された音楽現代11月号に9月に行われた浜離宮でのコンサート評が載りました。


勿体無い数々の言葉に恐縮しつつも、素直に嬉しく思います。


コンサートは一つの通過点。時が流れがある以上、ある意味人生も"そう"と言えるのかもしれません。



さて、ベートーヴェンの舞台「No.9–不滅の旋律–」のリハーサルが始まりました。


僕にとっては深い関係にあるベヒシュタインピアノとこの長旅を共にします。


大切なパートナー。


稲垣さん、剛力さんはじめ役者の方々や多くのスタッフの熱意から強烈な刺激をもらう日々。


そして、一つ嬉しいことが。


僕のコンサート評が載った音楽現代11月号。そこにNo.9の記事もありました。一緒に載っていることに心が躍るのです。


音楽現代11月号、是非お求めください。


今日も素敵な一日になりますように…

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タイトルのない3週間

朝早く目が覚めた。


家族はまだ寝ている。


ベランダに出ると昨日とは全く違う空気感。


少しひんやりしていて心地よい。


前に見える森から鳥の鳴き声が聞こえてくる。



…浜離宮でのリサイタルを終えてから約3週間。


9月14日以前と変わらずコンサート、公開レッスン、レクチャーそして大学などがあり、充実した時間が過ぎていく。


そんな中楽しめた2、3日家族との時間。


言葉にならない。適切な言葉が見つからない気持ち。心の中。


充実というのはとてもポジティブに聞こえるけれど、悲しく、傷つき、不安で彷徨う…そういう気持ちも含まれている。


様々な色が混じり合った今日までという時間。



朝食を終え、妻はミシンで何かを縫っている。


子供たちはそれを興味深そうに覗いている。


ベランダから見える森は変わらず落ち着きを見せているが


気付くと鳥たちはあまり鳴いていない。

本質の極み、その言葉を胸にしまい

rehearsal

「舞台に全てを置いてこよう」


舞台袖の扉が開く直前、そう決意して舞台に出る。


時間と同じ。後戻りはできない。その瞬間に生まれた音(命)はすぐに消え、二度と生まれることはない。その連続で姿を現す音楽という世界。


先週14日に浜離宮朝日ホールでのリサイタルを終えた。今回のベートーヴェンプログラムに向け過ごした日々は、僕に多くの気づきを与えてくれた。


表現。


一日のあらゆる時間それを考えさせられた。何をしようと頭から離れない。表現とは?僕にとって音楽とは?僕の中で音楽はどう生きるのだろう?これらは聞き飽きた問いなのかもしれない。けれどそれ以外の言葉が見つからなかった。どんな時でも僕は自分に問い続け、ベートーヴェンの音楽がそれらを問いかけさせていた。


問うこと。それは僕自身を覗くこと。先の見えない森を彷徨う様。


楽譜との対峙。問いかけはさらに強まり僕をその深淵の奥底へと突き落とした。しかし時に何かしらの表現、その片鱗が顔を見せる瞬間がある。逃げていかないよう直ぐピアノに向かって音にしてみる。その繰り返しの毎日。


コンサートというのも一つの通過点に過ぎない。リハーサルも自宅と変わらず探求の森を彷徨う。本番中にも自分の知らなかった音色や表現が顔を出す。音楽は常に変わっていく。これもまた時間の芸術と言えるのか。


「僕は僕である」


「僕は僕らしくいていい」


今回、僕は僕自身を初めて受け入れることができたのかもしれない。


誰が何と言おうと僕は今生きている。温かな血が体を巡っている。心があり感情がある。生きていることの全てが音に帰る。音楽とは僕自身である。


今は亡き恩師たちの言葉が頭を木霊する。


「どうせねばならないのか、ではなくあなたが、どうしたいのか?」


僕の中にある表現という重い大きな扉がゆっくり音を立てて開こうとしている。その先にある道のりはどこに続いているのだろう?終わったという解放感はなく、むしろコンサートによって湧き出た様々な思いが頭を巡る。ピアノに向かう。いつもと変わらない。


リサイタルに来て下さったお客様はじめ、このコンサートをサポートしてくださった多くの方々に思いを寄せて。お陰様でほぼ満席のお客様にご来場いただき、ニューアルバム「tragico」も完売。言葉が見つからない。


全ての関係者に最大の感謝を込めて…

Beethoven

リサイタルを終えた後日、胸が苦しくなるほど尊敬しているピアニストの先生から手紙とベートーヴェンの絵が届いた。


手紙に書かれているシンプルで奥深く琴線に触れる数々の言葉に鳥肌が立ち奮い立たされた。素敵な額縁に入っているベートーヴェンの絵はご本人がウィーンでご購入されたもの。「ずっと自分の部屋に飾ってあったけどあなたに差し上げます」そして「今は亡きあの先生が抱いていたベートーヴェンへの情熱を、力を繋いでいって…」と続く。恐縮の極みとは正にこのこと。


そして、今は亡き恩師がベートーヴェンの研究について書いたファックスのコピーが。恩師が今もなお生きているのではと思わせる生々しい文体に涙を堪えられず。


個が存在し、生きる音楽を、そんな気持ちを改めて決意した今。

9月14日浜離宮朝日ホール、残席僅か。



お陰様で当日は皆様はじめ各方面からの関係者も集う時間となりそうです。


改めて感謝申し上げます。


僅かながら当日券が出るかもしれませんが確約できません。


お求めの方は「事前の購入」をお勧めいたします。


e+での購入は3日前までです。


よろしくお願いします!


9月14日ピアノリサイタル
チケット好評発売中!
◆ミリオンコンサート協会
03-3501-5638
http://millionconcert.co.jp/

◆朝日ホールチケットセンター
(日・祝除く10:00~18:00)
03-3267-9990

◆e+(イープラス)
http://urx.mobi/LdTl

木漏れ日の中で




家族と過ごした2時間。


森に囲まれた静かな場所。


そこに広がる田んぼ、そして古民家。


日差しはまだ強いが、心地よい風が自然の香りを運んでくれる。


収穫の日をじっと待つ。



近くにあった木の下で木漏れ日に包まれる。



横になりながら自然の息吹を感じ、虫取りに一生懸命な子供たちを眺めてみたり。


しかし、来週のコンサートで控えているベートーヴェンは中々頭の中を離れてくれない。困った。頭をとにかく休ませたい。



帰宅後、ピアノに向かい作品57の2楽章の各フレーズを対比させるが、ピントがずれている。心が落ち着いていない。何か、こう、ずっと震え、ざわめている感覚。


ここ数年、楽譜から感じ取るもの、見えるものが多すぎて受け止め切れていない。そしてそれは日に日に膨れ、大きくなっている。


作曲家が残した「楽譜」というもの。


それは、あまりにも、あまりにも重く、深い。


僕を不安にさせる。深淵。


しかし同時に温もりと光も存在する。


沈吟し、徐にピアノに向かう日々。


ベートーヴェンピアノソナタのとある楽章を一つ弾いただけでも、その日は何もできないくらいの疲労感に襲われる。


「フランツ・リストはベートーヴェンのピアノソナタを暗譜していようと必ず楽譜を見ながらレッスンをしていた。それは彼がベートーヴェンに対しての誠実さの証である。」という言葉を思い出す。


楽譜という存在。


今の僕にはそれは一人の「共演者」と言える。


楽譜であり、人である。


それは決して手放すことはできない存在。


僕にとってはベートーヴェンのピアノソナタを弾くということはある意味その人(楽譜、作品)との血と肉と精神の交わりであり、同じように傷つき絶望する。そして同じように音楽に救われ安堵する。


木漏れ日は何も癒してはくれない。


こんなに素敵な時間だったのにも関わらず、結局今日もその深淵に僕を引きずり込んだ。

Project Neighborsインタビュー記事


カメラを通して「人を知る」プロジェクト。


ライフスタジオ所沢店のスタッフの皆様には本当にお世話になりました。


7月下旬にあったインタビュー記事が載っています。



プロジェクト第5回は「武蔵ホールスタッフと末永」でした。


ベヒシュタインピアノのことも語っています。


是非ご一読ください♪

第1回譜読み講座を終えて


第1回譜読み講座終了。


今回はお陰様で満席の中、人数も多かったので譜読みもそこまで深入りせず導入テーマ「情報を引き出す」を広くお話しさせていただきました。


次回は具体的に一歩踏み込み「情報と心の実践」をテーマに、そして「新たな講義スタイル」で2ヶ月後をめどに企画される予定です。


さらなる譜読みの世界を皆様と共有できたら嬉しいです。


ご参加された皆様はじめ、主催の川崎西口ピアノ教室に改めて感謝申し上げます。
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