コンサート、残念ながら終わってしまった。
広島交響楽団のチェロ奏者として活躍し、積極的に室内楽にも取り組んでいる熊澤雅樹君。
彼との音楽創りがあまりにも素敵な時間だった。だから終わった事が残念…そういうことだ。
今回はいつにも増してチャレンジングなプログラムだったのでスリル満点だった。しかしその分充実感が半端じゃない。
自分に課していくことというのはとても難しいことだと思う。しかし熊澤君はそれをずっと続けている。プレッシャーと闘い続けている。
しかし全ての根源は「飢え」にある。
彼は飢えているのだ。魂を削り音に命を吹き込む。彼のチェロからそれが聴こえる。
ラフマニノフ、ベートーヴェン、ブラームス、と隙のない密な音楽が極限の集中力を要求し、演奏家を出口のない魅惑の迷路に誘い込む、そんな感じがした。
またこれらの作品を掘り下げ追求し演奏したい、そう思った。
こんな機会を与えてくれた熊澤君始め各関係者そして聴きに来てくださった多くの皆様に深く感謝したい。
札幌の千歳空港で別れ際に「来年は広島でショパンとベートーヴェン5番をよろしく」と言われた。相変わらずチャレンジングだ!
数日ぶりに家族に会える。これもまた楽しみ。
PIANIST TADASHI SUENAGA OFFICIAL BLOG
Sie müssen dann wie ein Suchender,
leise hinuntersteigen in das Dunkel
Ihres tiefsten Seins, dorthin,
wo Sie in der Kindheit waren
-Edwin Fischer
子供への気持ち
最近悲しいニュースが多い。
昨日は近くの小学校で行われていた少年草野球を見に行った。
野球も終わり夕暮れ時に誰もいない校庭を眺めていた娘を見ていたら、何がなんでもこの子を守らなければ、と悲しいニュースと一緒に心に思った。
しかし、愛情もいきすぎると歪んだ形に変わってしまい、もはやそれは愛情とは言えない。それに気づく事ができない事がとても恐ろしく、これは誰にでも起こりえる事なのではないだろうかと少し自分さえも怖くなる。
僕にはまだ親としてわからないこと、育てて行く上でわからないことがあまりにも多い。
子が成長していくと一緒に僕も「親」になって行くのだろうか。いや、親になる実感なんていうのは無いのかもしれない。ただ、この子が無事に大きくなってくれればそれでいい。
だから今、日々仕事から帰宅した時、一日を終えて寝床につく時、ほっとする。
昨日は近くの小学校で行われていた少年草野球を見に行った。
野球も終わり夕暮れ時に誰もいない校庭を眺めていた娘を見ていたら、何がなんでもこの子を守らなければ、と悲しいニュースと一緒に心に思った。
しかし、愛情もいきすぎると歪んだ形に変わってしまい、もはやそれは愛情とは言えない。それに気づく事ができない事がとても恐ろしく、これは誰にでも起こりえる事なのではないだろうかと少し自分さえも怖くなる。
僕にはまだ親としてわからないこと、育てて行く上でわからないことがあまりにも多い。
子が成長していくと一緒に僕も「親」になって行くのだろうか。いや、親になる実感なんていうのは無いのかもしれない。ただ、この子が無事に大きくなってくれればそれでいい。
だから今、日々仕事から帰宅した時、一日を終えて寝床につく時、ほっとする。
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