新芸術企画コラムvol.22【半学半教と愈究而愈遠】


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ハンス・ライグラフ先生のレッスン風景
ザルツブルグ近郊
ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 
コラムvol.22【半学半教と愈究而愈遠】
 
慶応義塾の関係者なら非常に馴染みある言葉であるが、それ以外の人間にしてみたら初めて耳にする人も少なくない。「半学半教」とは「共に学び、共に教え合う」ことである。では「愈究而愈遠」とは?慶応義塾のホームページには以下の説明が載っている。
 
(以下引用)しかしこの「半学半教」はあくまでも学科課程が未整備の段階で、教員の資格についての法的規制がゆるい時代のことであり、かつ財政基盤の弱い私学がやむをえず行った教育方法であって、これはもちろん好ましい状態ではなかった。しかしこの仕組の根底には、学問は上達すればするほど奥深く、それを究める事は一層難しくなるもので、学問の完成とか成就ということは永遠の課題なのだという考え方、すなわち福澤先生が好んで揮毫した「愈究而愈遠(いよいよきわめていよいよ遠し)」の思想が潜んでいることを見逃してはならない・・・
 
僕は慶応の関係者ではないのでそれ以外の事に関しあまり詳しくは解らないが、少なくともこの二つの言葉を知った時ふと思い出した事があった。それは僕が師事した先生たちの「言っていたこと」や「教育、生き方、音楽芸術への取り組み方」等の姿勢である。全くと言っていいほどその精神は同じであり、そこから学べることは余りにも多かった。

ドイツにいたころ、師事した先生たちは共通して「レッスン」のことに対し「zusammen arbeiten(英:zusammen=together, arbeiten=work)」という言葉を頻繁に使っていた。勿論いろんな言い方をすることもできるが、けれど共通していたという事実は非常に興味深い。そこには「先生と生徒であり、私があなたに何かを教える」という姿勢ではなく、「音楽芸術、それらの作品に対し共に立ち向かって創っていこう」というニュアンスが強く含まれる。先生と生徒という関係ではなく、作品の前では音楽を愛する皆同じ人間である、仲間であるという意味での平等性がある。そしてレッスン後に先生はいつも僕に「ありがとう」と言った。初めは「なぜありがとうと言うのだろう?僕が言うべき事なのに」と思ったが、尋ねてみるとこう答えた「私も今日タダシから多くを学んだからだよ」と。僕が先生に何かを教えたのか?と不思議に思ったが当時の僕はこの関係性にとても人間的な温かさを感じた。日本帰国直前のレッスンでは、先生は最後まで楽譜に対し疑問をぶつけていた。逆に僕に「ここはどうすればいいのだろうか?」と質問することもあった。…仲間であり、チームである。僕はそんな先生に更なる信頼と尊敬を覚えた。先生はその10ヶ月後に他界する。

帰国後、大学で教えるようになって早6年。ふとその時のことを思い出す。知れば知るほど、経験すればするほど「半学半教」「愈究而愈遠」を思う。作品と対峙し続ける(根本的には全て繋がっている)日々、毎時間、毎分、それを思う。深く暗い森の中を歩いているかのように進めば進むほど先に見えてくるものに魅せられる。届きそうで届かない。もしくは、既に届いているけれど(進むからこそ)更に届くものが見えてくる、という事なのかも知れない。教育現場ではそれでも多くの失敗を重ねた。教育とはその一言で活かすことも出来るが殺すことも出来てしまう恐ろしいものである。生徒たちは、生徒である前に「人」である。僕は彼らの何を見ているのだろう?自身の未熟を知る。彼らによって僕は教えを学ぶ。彼らによって新たな気づきをもらう。彼らによって自分自身を見る。

半学半教と愈究而愈遠。これはもはや学問だけの言葉に在らず人生そのものである。人生そのものが学びに満ちている。そして感謝を、信頼を、尊敬を知る。あの先生に出会えてよかった、あの生徒に出会えてよかった、結局は出会いであり、「人と人との対峙」から全てが始まるのかもしれない。

2013/6/13
ピアニスト 末永 匡

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