新芸術企画コラム vol.32 【芸術作品】

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様々なアプローチで社会と芸術の在り方を検証し、独自の方法で相互理解と繋がりを広げて行く環境ときっかけを提供するチームです。芸術を「知り、感じる」事により結果、自己を見つめることに気づき、それが自身の人生にどのように作用するか、強く期待するところが大きなポイントです。個のポテンシャルを高める事が自ずと社会、コミュニティへポジティブな変化をもたらすものであると信じています。
 
 
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コラム Vol.32 【芸術作品】

なんとまぁガチっとした感じのテーマだが、なぜこんなタイトルを付けたかと言うと、自分の娘が鼻歌をふふんと歌いながら作ったレゴブロックやら、物を並べたり配置したりする様を見てこう思ったわけです。「めちゃくちゃに見えるけどなんか自然だなぁ」と。そこには規則性もあり、例えば長方形の同じブロックをただただ積み重ねて3つの塔を作ったのだが、良く見ると左側から一段ずつ高くなっている。また、おもちゃのキノコを床に立ててばらばらに並べてるんだけど、そこには...調和を感じたりする。別にこれが芸術なわけではないが、しかし絵画にしても感覚的な詩や物語、音楽作品、コンテンポラリーダンス等にしても一見めちゃくちゃに思える物が、よくよく奥深くを見て感じて行くとそこには「自然なもの」を感じることがある。と言うよりも素敵だなと思う作品は全てある種の「自然さ」を共通して感じる事が出来る。

そうなると自然もまた芸術なのか?となってくるが、時に大自然を目の当たりにした際、「芸術的だ・・・」なんて感動してしまう事もある。芸術の定義をちゃんと出来ないのに(する必要もないのかも)、なぜ僕たちは「芸術的だ」と口走ってしまうのだろう?芸術的って何だ?自然って何だ?

人の感覚と言うのは面白い。どんなに文化や風土、言葉やキャラクター、価値観等が違えど、自然に対する偉大さや家族への愛、道端に咲く一輪の花を綺麗だと思う気持ちは変わらない。芸術とはその部分に「僅かながら」含まれているのかもしれない。

理屈を超えて共感し得るものの一つに芸術もあると思うのだが、それはもっと現社会に役立つことは出来ないものか?芸術と言えば構えてしまうかもしれないが、それは自然なことでもありうるからこそ、身近な物でもある。その普遍性を、その共感性を感覚として理解し得た時に、芸術は社会にとって大きな人間的な心の繋がり、支えとして、その役割を担う事が出来る。無論、これだけのためではないが、そう在りうる事の1つとして・・・。

社会における音楽芸術の可能性の一つとして、世界的音楽家であるダニエル・バレンボイム率いるウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の活動を挙げたい。政治的には今のところ困難である事を芸術により一石を投じることに成功した具体例である。ご興味ある方は是非DVD「知る事、それが始まり」を観て頂きたい。

なんて事を娘のおもちゃを見て思ったわけです。

2013/8/7
ピアニスト 末永匡
 

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