コンサートを聴いて

五嶋みどり、ネルソン・フレイレ、リカルド・シャイー、ゲヴァントハウスを聴いて…


オペラシティとサントリーホールの公演を聴いた。躍動する音楽、心を鷲掴みにされる音楽、大空を舞うかの如く解放する音楽、正に「生きている音楽」に感動した…。

以前ドイツのStuttgartで東京カルテットのコンサートを聴いた後、彼らと食事に行った時の事を思い出した。メンバーの池田さん(ヴァイオリニスト)は熱く語っていた「僕らはねベートーヴェンのピアノソナタや交響曲を勉強するんですよ。弦楽四重奏のためにね」と。僕は留学当初、先生から「とにかく交響曲と弦楽四重奏を勉強しろ。聴きまくれ」と言われた。右も左も分からず取り敢えず全集のCDを買いに行き、部屋で聴き続け、コンサート会場に通ったのを覚えている。弦楽四重奏を勉強するために弦楽四重奏じゃないものを、ピアノを勉強するためにピアノではないものを知る。そこにたくさんの音楽的なヒントやアイデアが隠されている。

ピアノ音楽における音楽的構築には音の配置だけではなく音色の多様さ、豊富さを強く要求される。(勿論ピアノだけに限った話ではない。そして更に正確に言えばそこに"時間"のコントロールも含まれる)

オーケストラは弦楽器、打楽器、管楽器など、多種多様の楽器に満ちている。それらの響きがピアノ作品、鍵盤楽器の発展に大きく影響を与えたのは想像に容易い。18世紀〜19世紀にかけては特にそうだ。それらは広がりや奥行きを与え、立体的な音楽空間を作り出す。

今日オーケストラを聴いていて改めて音色の豊富さの素晴らしさを強く感じた。演奏者がピアノから様々なタッチによって音色を引き出すがそれだけではない。ピアノという楽器には本来持ちうる「生きる音色」が存在する。それらはピアノの「声」であり、それがメーカーの「個性」である。自分に合うピアノ、求めるピアノと出会えることは本当に幸せだ。その途端突然演奏が生き生きする。水を得た魚のように。だからこそ音楽作りが楽しい。音色探しがやめられない。

「生きている」というのは具体的に何なのかは上手く言えない。しかし僕は、感動する音楽、突き動かされる音楽には共通して「生命の力強さ」を感じる。「生きる命の集合体」を強く感じる。

ぼやっとした文章だけど、そんな事をたんたんと思う今。素晴らしいコンサートだった!

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